桜の花の浮かぶ水槽で
鯖も泳いでます
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EP8.38*X Ideas of the bereaved families_0
雅行は、今日の最後の患者の診察を終えると、左手の腕時計を一瞥する。見るからに古いが、高価なものらしい。父の遺品だ。
しかし、随分と待たせてしまった。
父から受け継いだこの病院だったが、一時期の騒動で信用を大幅に傾けた。町医者は人脈と信用がなくてはやっていけない。
あれから今日まで地道に時間をかけたが、元の信用を取り戻すのは難しい。交通の便が良くなっていき、本土の大病院に通うものも増えた。
しかし、随分と待たせてしまった。
父から受け継いだこの病院だったが、一時期の騒動で信用を大幅に傾けた。町医者は人脈と信用がなくてはやっていけない。
あれから今日まで地道に時間をかけたが、元の信用を取り戻すのは難しい。交通の便が良くなっていき、本土の大病院に通うものも増えた。
それが、今日に限って。客を待たせている今日に限って、診療時間を過ぎてしまうのだからつくづく自分は運の回りが悪い。
尤も、……純粋な患者だけでなく、好奇の目で見る為に訪れるものも未だにいることには気付いていた。
右代宮絵羽が死に、右代宮縁寿が失踪し、六軒島事件が再び注目されたからだ。
縁寿の足取りを追い、ここを訪ねるものも少なくはなかったが、右代宮家の生き残りの行方など自分に知る由もない。
そんな騒ぎに巻き込まれ、迷惑で仕方ないと辟易していた。あの事件はもう12年前に終わったのではなかったのか。
そこまで考え、先刻帰った患者のカルテを置いた。書かれた文字には、雅行の几帳面さがよく現れている。
……あの事件が終っていないのは、自分も同じだ。
ただ、関係の無い、好奇心や野次馬心で父たちの死を弄び、自分達の平穏を乱す連中を許せないだけで。
あの事件を忘れ、静かに過ごしたい。その本心と同時に、何故あの日父が死ななくてはならなかったのか、その理不尽に、憤ることも儘ある。
正当な権利だろうと思う。
ネットに出回る“偽書”というやつでは検死を偽った共犯だと勝手に決めつけられてはいるが、「あの日父は死んだのだ」。
一体何があってその結果が生まれたのか、遺族である自分には何も知らされず、ただ世間に疑惑だけを残して、父は死んだ。
右代宮家の滅亡を受けて、ようやく自分は、自分達は、目をそむけることを、やめようと思う。
もう、あの日の人間は誰も――少なくとも表社会には――生きていない。だから、全員を平等に、疑える。……父さえも。
誰かを糾弾するためではなく、自分があの島の呪縛から逃れるために、見つめ直すのだ。
応接間には初老の男の姿があった。
「長らくお待たせしました、熊沢さん」
「いえいえ、寛がせて頂きましたよぉ」
それは決して単なる遠慮ではなく、実際鯖吉は待ちくたびれた様子もなく、椅子に深く座ってのんびりと茶を啜っていた。
相手がしっかり腰を据えていたことに、雅行は少し安堵し息を付く。自分独りでは先走ってしまうだろうと考えて持ちかけたのだ。
「兄弟から反対も受けました。しかし私は、兄弟を代表し、お袋の1986年に決着を付けることを、決意しました」
鯖吉は瞼を伏せた。元から伏し目がちなため表情が分かりにくいが、その声に芯は通っていた。
当然のことながら、相手も柔い意志では無いようだ。そうでなくては困る。自分にとってこの挑戦は、言葉通りの意味で人生がかかっているのだ。
「まず、先日電話で調べて直しておくと話した件ですが、ウチの医院に、父やそちらのお母さんがご当主の死を隠しているという証拠は見つかりませんでした。しかし、それを否定できる証拠もまた、やはり見つからなかったのです。ご当主……「右代宮金蔵」のカルテは、あまりにも綺麗すぎました。勿論ずっと安定していたという意味ではない。ただ、余命少ない患者とは思えないほど、ノイズが低かったのです」
雅行は米噛みを抑える。
警察も散々捜査を入れたし、自身も各所からせっつかれて以前も同じ様なことを調べたが、今回も結果は変わらなかった。
「もしも論理的な反証が可能であったなら、私は父の、そしてこの病院の名誉のために断行したでしょう」
そしてそれが成されていないという客観的事実こそが、否定不可能だということを世間に示してしまい、偽書作家やウィッチハンターらの増長を招いてしまったのではないだろうか。雅行はそう考えていた。
「私自身も、今なお父への疑惑を払拭出来ないでいます。父は良識のある人間だったと信じていますが、肝の座った人でもありました。ご存知の通り、当時私には病弱な娘がおりまして、治療費が多額に必要だったのです。そのこともありまして、盲信することは出来ませんでした。それゆえに、ここまでズルズルと、目を背け続けてきたのです。確か、貴方の元にも送られてきたのですよね? 故人を差出人にした、宛先架空の手紙が……」
「はい。もうとっくに忘れきっていましたが、あの有名な偽書で書かれていたんで思い出しましたわ」
「不審には思われなかったのですか」
「当時は思いましたよ。薄気味悪いんで手をつけず放っておいたら、その後のゴタゴタで頭から押し流されてたなぁ」
自分と比較して、この人はあの島の事をそれほど気にしてはいないのかと眉を寄せたが、すぐに鞘を引っ込めた。
そう、あの当時は、その不審物を些細なものと片付けられる程に日常からは掛け離れていたのだ。
自分がはっきりと覚えていたのは勿論性格によるものもあるが、あの頃、治療費を賄うための資金繰りに必死で、金に強い意識があったからだ。
銀行の貸し金庫の物だとわかると警戒をしながらも悪魔の誘惑に誘われかけ、ジュラルミンケースの中を覗いてしまった。
結局、あの金は不用意に使えるものではなかった。世間から隠れながらも正当な手続きで下ろすというのは容易なことではなく、モタモタとしているうちに、使用用途は無くなっていた。
あのときほど、自身が肝の小さい小市民であったことを悔やんだことはない。父が存命であったなら、と甘えたことを言って酒に溺れたりもした。
その間も、マスコミによる追求は休むことを知らず、雅行の神経をすり減らし続けた。
「2本のボトルメールは言わずもがな、そして伊藤幾九郎という偽書作家が発表した数本の偽書。あれらに限って言えば私も、反証の手段を持ちませんねぇ。私の知る母と違和感を感じる部分は多々あれど、それを客観的に証明する手段はない。家庭の顔と職場の顔の差で片付けられてしまう程度の差でしたわ」
「やはり、私はあの偽書の書き手は事情を知る人物であったと考えています。どう読んだって、露骨に否定させないぎりぎりのところを狙っている。意図的だとしか思えません。それが出来るのは、反論の論拠が存在しないと知っている人間だけだ。」
そう言い切ると、鯖吉も深く頷いた。
「なるほど、同意見ですねぇ。可能性としては事件以前に六軒島に出入りをしていた業者か使用人、或いは生還者ということになりますが……」
「どうしました?」
歯切れが悪い言葉尻だ。鯖吉は一度口元で湯のみを傾け、間を置いてから口を開く。
「南條さんはもし、お父さんが生きていて、あなたにそれを知らせないまま偽書を書き続けていたとしたら、どう思われますか」
意図を察した雅行は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「……。生存は喜ばしくとも、素直に喜べはしませんね」
「事件後生存が確認されているのは右代宮絵羽さんだけだ。事件の生還者であり、且つ彼女でないとしたら、作者は何か後ろ暗い事があったか、それとも他に、会うことが出来ない何かの事情があるのか……。少なくとも両手を上げて喜べる事態ではない。南條さん、お医者の視点から何か思いつくことは有りますかねぇ」
「医者の見地からですか。そうですね……、家族に見せられないような怪我が残っているとか、或いは精神的な……いや、こっちは専門じゃないもんだからわかりませんね」
そういえば、「専門外だ」は父の口癖でもあった。父はそう言いながらもある程度のことは熟せていた。……そう思うと自身の不甲斐なさが募り、雅行の表情をいっそう不機嫌なものにさせた。
一方、鯖吉は興味深げに尋ねる。
「何故、精神的なものである可能性を?」
「偽書を執筆できるだけの環境であることが確実であるからです。例えば、植物状態であるということはないでしょう。それは、情報の面で考えれば存在しないも同じだ。そして、ある程度の機能が働く状態なら、名乗り出ている可能性が高いと思うのです。勿論、後ろ暗い事が無いのなら」
鯖吉は納得したように再び頷く。
「その話を聞いて思いついたのですが、ひょっとして「執筆者と証言者は別人」ということは無いのでしょうかねぇ。例えば、生存者が第三者に事件の詳細を語ったが、直後に息を引きとってしまった。その第三者は遺族に死の悲しみを二度味わわせる事を躊躇い公表しなかったが、真実を黙っていられずインターネットを利用して流した……」
それは考えもしなかった。やはり、何事にも独りでは限度があるということだ。
「なるほど……。しかし、遺族の立場から言えば、何から何まで余計なお世話しかしていませんがね。もう1つ、生還者が天涯孤独であった可能性もあるのではないでしょうか。事件について追い回されるのが嫌で逃亡した。まあ我々からすれば、そうしたい気持ちが分かってしまうのが因果なものです」
「そう考えると、福音の使用人と源次さんという使用人が候補になりますかねぇ。郷田さんって方についてはよくは知らないが、縁者はいるだろう。あとは長男家、次女家……尤も、歯型の一致が確認された真里亞さんだけは有り得ないですが。長女家、次男家は可能性が低いと……思いたいですねぇ」
「私は源次という人物を疑っています。偽書における描写が事実なら、殆どの事象に関わっている。そして機密の脱出経路を持っていても不思議ではない。偽書の執筆もご当主の命令ならやりそうな気がします」
元使用人説。
絵羽関与説。
身体障害説。
精神障害説。
証言者死亡説。
執筆者天涯孤独説。
……執筆者犯罪者説。
「……ふぅ、嫌になってしまいますねぇ、私達は結局、犯人が生存している可能性をなるべく考えないように思考を進めている」
苦笑ともつかない顔をする。雅行もその気持ちは痛いほどわかったので、強く眉根を寄せる。
「もし父を殺し、私達家族の人生を壊した人間が生きているなら、何を仕出かすか自信があったもんじゃありません。だからそうであってほしくない。偽書作家に憤りを感じながら、その生きてる誰かを決定的に悪にすることに、嫌悪感を持っている。全く、矛盾したものです」
憎しみよりも強く人間を動かすものは無いだろう、と思う。
それゆえに、あの日起こったものが明確に殺人事件であったなら、犯人への憎しみを糧に思考を働かせることは間違ってはいないのだ。更に犯人が今ものうのうと生きているなら、それを許せないと思うのも当然だ。
しかし、過ぎた感情は、冷静な思考を奪う。その感情が導く先が、本来の目的と異なるものだとわかっているのならば尚更に。
だから“死んでいることにしたい”のだ。
真犯人が生きている可能性と死んでいる可能性、どちらも存在するなら、死んでいる猫を取りたい。生きている猫を被害者だと位置づけたい。
勿論、遺族として理不尽さを感じるからという理由が大きいのも事実だ。自分が正常な精神を保つためには、父を殺害した人物は死んでいなくてはいけない。何故ならそれが平等だからだ。
否、こちらの視点からしたら、それでも大いに不平等である。死んだ人間は二度と帰らないのだから。
自分は、あの日に決着をつけて、静かに生活したいのだ。これ以上好奇の目に晒されるのならば、もういっそ病院も畳んで、妻と共に遠い地で生きたい。望みはそれだけなのだ。
「偽書作家についてはこの辺りで一旦置いておきましょうか。1つのことに囚われていても仕方がない。私達が考えるべきは「あの日何があったのか、何故お袋達は死ななくてはいけなかったのか」。他の部分を探っているうちに、偽書作家の正体にも自然に行き着くかもしれない。真に向き合わなくてはいけないときがあるなら、それもいずれ自然に来るものでしょう。その結果もしかしたら、誰にも罪はなく、事件など初めから無かったという、私達が最も望んでいる可能性が真相であるかもしれない」
だから、鯖吉のその意見に進んで賛同した。
「そうですね。出来うる限り多方面から、ひたすら考えましょう。もともと目的は糾弾ではなく父達の件の享受です。その先のことはまだ考えられない」
「ええだから、しっかり考え、納得しましょう。そうしてはじめて私達は、お袋たちを心配させること無く、静かに眠らせてやることができるんですよ……」
End
――――
February.19.2011
エピソード8.鯖の何乗?
鯖吉と雅行さんで真実を探る偽書が書きたくて、プロローグというか、路線決定の意味で書きました。
本編は全く書いてないですし、まだプロットを立ててもいないです。どんな雰囲気の話になるか決めてさえもいないです。うーん書けるかなぁ? わからんです!
とりあえずひたすら2人の視点を想像しながら、私の考える彼らがどういう思考をするのかを自分の中で整理しました。結局迷走しましたが行き当たりばったりで書いたので仕方ないんです(キリッ
本編がしっかり書けるような気がしてきたら、1話目が書けた時点で長編の方に移そうと思います。
あ、視点が雅行さんなのは私が鯖吉を見つめていたいからです(ふぉんぐしゃ
まぁ鯖吉のシリアスな内面独白とか難易度がとても高いことを、身を持って体験してますからね……。
尤も、……純粋な患者だけでなく、好奇の目で見る為に訪れるものも未だにいることには気付いていた。
右代宮絵羽が死に、右代宮縁寿が失踪し、六軒島事件が再び注目されたからだ。
縁寿の足取りを追い、ここを訪ねるものも少なくはなかったが、右代宮家の生き残りの行方など自分に知る由もない。
そんな騒ぎに巻き込まれ、迷惑で仕方ないと辟易していた。あの事件はもう12年前に終わったのではなかったのか。
そこまで考え、先刻帰った患者のカルテを置いた。書かれた文字には、雅行の几帳面さがよく現れている。
……あの事件が終っていないのは、自分も同じだ。
ただ、関係の無い、好奇心や野次馬心で父たちの死を弄び、自分達の平穏を乱す連中を許せないだけで。
あの事件を忘れ、静かに過ごしたい。その本心と同時に、何故あの日父が死ななくてはならなかったのか、その理不尽に、憤ることも儘ある。
正当な権利だろうと思う。
ネットに出回る“偽書”というやつでは検死を偽った共犯だと勝手に決めつけられてはいるが、「あの日父は死んだのだ」。
一体何があってその結果が生まれたのか、遺族である自分には何も知らされず、ただ世間に疑惑だけを残して、父は死んだ。
右代宮家の滅亡を受けて、ようやく自分は、自分達は、目をそむけることを、やめようと思う。
もう、あの日の人間は誰も――少なくとも表社会には――生きていない。だから、全員を平等に、疑える。……父さえも。
誰かを糾弾するためではなく、自分があの島の呪縛から逃れるために、見つめ直すのだ。
応接間には初老の男の姿があった。
「長らくお待たせしました、熊沢さん」
「いえいえ、寛がせて頂きましたよぉ」
それは決して単なる遠慮ではなく、実際鯖吉は待ちくたびれた様子もなく、椅子に深く座ってのんびりと茶を啜っていた。
相手がしっかり腰を据えていたことに、雅行は少し安堵し息を付く。自分独りでは先走ってしまうだろうと考えて持ちかけたのだ。
「兄弟から反対も受けました。しかし私は、兄弟を代表し、お袋の1986年に決着を付けることを、決意しました」
鯖吉は瞼を伏せた。元から伏し目がちなため表情が分かりにくいが、その声に芯は通っていた。
当然のことながら、相手も柔い意志では無いようだ。そうでなくては困る。自分にとってこの挑戦は、言葉通りの意味で人生がかかっているのだ。
「まず、先日電話で調べて直しておくと話した件ですが、ウチの医院に、父やそちらのお母さんがご当主の死を隠しているという証拠は見つかりませんでした。しかし、それを否定できる証拠もまた、やはり見つからなかったのです。ご当主……「右代宮金蔵」のカルテは、あまりにも綺麗すぎました。勿論ずっと安定していたという意味ではない。ただ、余命少ない患者とは思えないほど、ノイズが低かったのです」
雅行は米噛みを抑える。
警察も散々捜査を入れたし、自身も各所からせっつかれて以前も同じ様なことを調べたが、今回も結果は変わらなかった。
「もしも論理的な反証が可能であったなら、私は父の、そしてこの病院の名誉のために断行したでしょう」
そしてそれが成されていないという客観的事実こそが、否定不可能だということを世間に示してしまい、偽書作家やウィッチハンターらの増長を招いてしまったのではないだろうか。雅行はそう考えていた。
「私自身も、今なお父への疑惑を払拭出来ないでいます。父は良識のある人間だったと信じていますが、肝の座った人でもありました。ご存知の通り、当時私には病弱な娘がおりまして、治療費が多額に必要だったのです。そのこともありまして、盲信することは出来ませんでした。それゆえに、ここまでズルズルと、目を背け続けてきたのです。確か、貴方の元にも送られてきたのですよね? 故人を差出人にした、宛先架空の手紙が……」
「はい。もうとっくに忘れきっていましたが、あの有名な偽書で書かれていたんで思い出しましたわ」
「不審には思われなかったのですか」
「当時は思いましたよ。薄気味悪いんで手をつけず放っておいたら、その後のゴタゴタで頭から押し流されてたなぁ」
自分と比較して、この人はあの島の事をそれほど気にしてはいないのかと眉を寄せたが、すぐに鞘を引っ込めた。
そう、あの当時は、その不審物を些細なものと片付けられる程に日常からは掛け離れていたのだ。
自分がはっきりと覚えていたのは勿論性格によるものもあるが、あの頃、治療費を賄うための資金繰りに必死で、金に強い意識があったからだ。
銀行の貸し金庫の物だとわかると警戒をしながらも悪魔の誘惑に誘われかけ、ジュラルミンケースの中を覗いてしまった。
結局、あの金は不用意に使えるものではなかった。世間から隠れながらも正当な手続きで下ろすというのは容易なことではなく、モタモタとしているうちに、使用用途は無くなっていた。
あのときほど、自身が肝の小さい小市民であったことを悔やんだことはない。父が存命であったなら、と甘えたことを言って酒に溺れたりもした。
その間も、マスコミによる追求は休むことを知らず、雅行の神経をすり減らし続けた。
「2本のボトルメールは言わずもがな、そして伊藤幾九郎という偽書作家が発表した数本の偽書。あれらに限って言えば私も、反証の手段を持ちませんねぇ。私の知る母と違和感を感じる部分は多々あれど、それを客観的に証明する手段はない。家庭の顔と職場の顔の差で片付けられてしまう程度の差でしたわ」
「やはり、私はあの偽書の書き手は事情を知る人物であったと考えています。どう読んだって、露骨に否定させないぎりぎりのところを狙っている。意図的だとしか思えません。それが出来るのは、反論の論拠が存在しないと知っている人間だけだ。」
そう言い切ると、鯖吉も深く頷いた。
「なるほど、同意見ですねぇ。可能性としては事件以前に六軒島に出入りをしていた業者か使用人、或いは生還者ということになりますが……」
「どうしました?」
歯切れが悪い言葉尻だ。鯖吉は一度口元で湯のみを傾け、間を置いてから口を開く。
「南條さんはもし、お父さんが生きていて、あなたにそれを知らせないまま偽書を書き続けていたとしたら、どう思われますか」
意図を察した雅行は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「……。生存は喜ばしくとも、素直に喜べはしませんね」
「事件後生存が確認されているのは右代宮絵羽さんだけだ。事件の生還者であり、且つ彼女でないとしたら、作者は何か後ろ暗い事があったか、それとも他に、会うことが出来ない何かの事情があるのか……。少なくとも両手を上げて喜べる事態ではない。南條さん、お医者の視点から何か思いつくことは有りますかねぇ」
「医者の見地からですか。そうですね……、家族に見せられないような怪我が残っているとか、或いは精神的な……いや、こっちは専門じゃないもんだからわかりませんね」
そういえば、「専門外だ」は父の口癖でもあった。父はそう言いながらもある程度のことは熟せていた。……そう思うと自身の不甲斐なさが募り、雅行の表情をいっそう不機嫌なものにさせた。
一方、鯖吉は興味深げに尋ねる。
「何故、精神的なものである可能性を?」
「偽書を執筆できるだけの環境であることが確実であるからです。例えば、植物状態であるということはないでしょう。それは、情報の面で考えれば存在しないも同じだ。そして、ある程度の機能が働く状態なら、名乗り出ている可能性が高いと思うのです。勿論、後ろ暗い事が無いのなら」
鯖吉は納得したように再び頷く。
「その話を聞いて思いついたのですが、ひょっとして「執筆者と証言者は別人」ということは無いのでしょうかねぇ。例えば、生存者が第三者に事件の詳細を語ったが、直後に息を引きとってしまった。その第三者は遺族に死の悲しみを二度味わわせる事を躊躇い公表しなかったが、真実を黙っていられずインターネットを利用して流した……」
それは考えもしなかった。やはり、何事にも独りでは限度があるということだ。
「なるほど……。しかし、遺族の立場から言えば、何から何まで余計なお世話しかしていませんがね。もう1つ、生還者が天涯孤独であった可能性もあるのではないでしょうか。事件について追い回されるのが嫌で逃亡した。まあ我々からすれば、そうしたい気持ちが分かってしまうのが因果なものです」
「そう考えると、福音の使用人と源次さんという使用人が候補になりますかねぇ。郷田さんって方についてはよくは知らないが、縁者はいるだろう。あとは長男家、次女家……尤も、歯型の一致が確認された真里亞さんだけは有り得ないですが。長女家、次男家は可能性が低いと……思いたいですねぇ」
「私は源次という人物を疑っています。偽書における描写が事実なら、殆どの事象に関わっている。そして機密の脱出経路を持っていても不思議ではない。偽書の執筆もご当主の命令ならやりそうな気がします」
元使用人説。
絵羽関与説。
身体障害説。
精神障害説。
証言者死亡説。
執筆者天涯孤独説。
……執筆者犯罪者説。
「……ふぅ、嫌になってしまいますねぇ、私達は結局、犯人が生存している可能性をなるべく考えないように思考を進めている」
苦笑ともつかない顔をする。雅行もその気持ちは痛いほどわかったので、強く眉根を寄せる。
「もし父を殺し、私達家族の人生を壊した人間が生きているなら、何を仕出かすか自信があったもんじゃありません。だからそうであってほしくない。偽書作家に憤りを感じながら、その生きてる誰かを決定的に悪にすることに、嫌悪感を持っている。全く、矛盾したものです」
憎しみよりも強く人間を動かすものは無いだろう、と思う。
それゆえに、あの日起こったものが明確に殺人事件であったなら、犯人への憎しみを糧に思考を働かせることは間違ってはいないのだ。更に犯人が今ものうのうと生きているなら、それを許せないと思うのも当然だ。
しかし、過ぎた感情は、冷静な思考を奪う。その感情が導く先が、本来の目的と異なるものだとわかっているのならば尚更に。
だから“死んでいることにしたい”のだ。
真犯人が生きている可能性と死んでいる可能性、どちらも存在するなら、死んでいる猫を取りたい。生きている猫を被害者だと位置づけたい。
勿論、遺族として理不尽さを感じるからという理由が大きいのも事実だ。自分が正常な精神を保つためには、父を殺害した人物は死んでいなくてはいけない。何故ならそれが平等だからだ。
否、こちらの視点からしたら、それでも大いに不平等である。死んだ人間は二度と帰らないのだから。
自分は、あの日に決着をつけて、静かに生活したいのだ。これ以上好奇の目に晒されるのならば、もういっそ病院も畳んで、妻と共に遠い地で生きたい。望みはそれだけなのだ。
「偽書作家についてはこの辺りで一旦置いておきましょうか。1つのことに囚われていても仕方がない。私達が考えるべきは「あの日何があったのか、何故お袋達は死ななくてはいけなかったのか」。他の部分を探っているうちに、偽書作家の正体にも自然に行き着くかもしれない。真に向き合わなくてはいけないときがあるなら、それもいずれ自然に来るものでしょう。その結果もしかしたら、誰にも罪はなく、事件など初めから無かったという、私達が最も望んでいる可能性が真相であるかもしれない」
だから、鯖吉のその意見に進んで賛同した。
「そうですね。出来うる限り多方面から、ひたすら考えましょう。もともと目的は糾弾ではなく父達の件の享受です。その先のことはまだ考えられない」
「ええだから、しっかり考え、納得しましょう。そうしてはじめて私達は、お袋たちを心配させること無く、静かに眠らせてやることができるんですよ……」
End
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February.19.2011
エピソード8.鯖の何乗?
鯖吉と雅行さんで真実を探る偽書が書きたくて、プロローグというか、路線決定の意味で書きました。
本編は全く書いてないですし、まだプロットを立ててもいないです。どんな雰囲気の話になるか決めてさえもいないです。うーん書けるかなぁ? わからんです!
とりあえずひたすら2人の視点を想像しながら、私の考える彼らがどういう思考をするのかを自分の中で整理しました。結局迷走しましたが行き当たりばったりで書いたので仕方ないんです(キリッ
本編がしっかり書けるような気がしてきたら、1話目が書けた時点で長編の方に移そうと思います。
あ、視点が雅行さんなのは私が鯖吉を見つめていたいからです(ふぉんぐしゃ
まぁ鯖吉のシリアスな内面独白とか難易度がとても高いことを、身を持って体験してますからね……。
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