桜の花の浮かぶ水槽で
鯖も泳いでます
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絶対幸福論 8
腹綿を刔るような海鳴りが、葛藤の隙間を縫って責め立てる。
せめて浅瀬の渇きを癒したくて、楼座は唾を飲み込む。ほんの少しきりりという辛みを伴って、喉がゴクリと鳴った。
――卑屈な考えはよそう。
追い詰められたら、そのときはそのときで考えればいいのだ。
自分が今するべきことは、娘の手をしっかり握っていること。
目立たない。逆らわない。
今こそ、長年培った術を発揮するときだ。
だから、大人しくしていて真里亞……。
せめて浅瀬の渇きを癒したくて、楼座は唾を飲み込む。ほんの少しきりりという辛みを伴って、喉がゴクリと鳴った。
――卑屈な考えはよそう。
追い詰められたら、そのときはそのときで考えればいいのだ。
自分が今するべきことは、娘の手をしっかり握っていること。
目立たない。逆らわない。
今こそ、長年培った術を発揮するときだ。
だから、大人しくしていて真里亞……。
「手を離してママ。真里亞も戦人といっしょにいーくー! うー!」
真里亞が楼座の手を振りほどこうと身を振るう。
口を塞いでいた手を離した途端これだ。
楼座はその調った眉をしかめて姉達の方を盗み見る。幸いにもそれほど関心は向けられていなかった。
「まだ言ってるの真里亞。外に出たら危険でしょ。ママと一緒にここにいなさい」
「うー、2人きりで行ったらダメなの! ベアトは真里亞のことは生贄にしないって言ってくれたけど、戦人のことは言ってくれなかった! うー!」
(――ベアトリーチェは、か)
真里亞の言っていることは、半分正しい。
半分正しく、もう半分が間違っているから、思わず拳を握り固めてしまう。……また理性が負けそうだ。
(兄さん達は戦人君に手をかけたりはしないはず。だって本末転倒だもの。だからこそ、"2人"という数が怖い――)
「まりあお姉ちゃん? なんでお兄ちゃんは行っちゃったの?」
ソファでうとうととしていた縁寿が、目元を擦りながら尋ねる。
真里亞が騒いだので目が冴えてしまったのだ。
「ごめんね縁寿ちゃん。戦人君はちょっと用事があるんだって」
「パパとママは? パパとママも用事?」
「それは……」
どう言い繕うか迷っていると、傍らで真里亞がぴたりと動きを止める。
真里亞は大人びた――それは普段の娘と比べると気味の悪いほど――口調で。
「うー。ベアトがお茶会に招いたの。みんなこれからそこに行くんだよ。逃げられないの」
「ふぅん……えんじぇ、ベアトリーチェきらい」
縁寿が口を尖らせる。
それを見た真里亞はもの思わしげな顔をした。
「じゃあ、縁寿は選ばれないといいね、うー」
「えらぶ?」
「そうだよ。縁寿も見たでしょ? 魔女の碑文。第一の晩に、鍵の選びし六人を……」
首を傾げる縁寿。真里亞はあの悍ましい文句を並べ始めるのだった。
「……これでよかったんやろか」
「あなた?」
「わしらは朱志香ちゃん達を疑い、追い出した。そやけどもし、朱志香ちゃん達がほんまに何も知らんかったなら」
「……。私達が追い出したんじゃなくて、勝手に嘉音を捜しに行ったのよぅ」
絵羽は瞑目し、夫から顔を逸らす。
「それとこれとは話が別や! わしかて嘉音君のことは疑っとる。そやからこそ、あの子らのことは引き留めてやるべきだったんとちゃうか?」
「……っ。わ、わかってるわよぅ。でも、今になって、……今さら言っても遅いのよぅ!」
絵羽は今更になって自分だけ正論を吐く夫を睨みつけたい気分になって一瞥した。しかしやはり目を合わせられずに、脇目をふる。その瞳には少しばかりの潤みが見られた。
絵羽とて好きで見送ったわけではない。
たかだかカマをかけてみただけで、こんな結果は想定外だったのだ。
兄と弟ならば或いは清々しい気分になれたかもしれない。だが、不運にも相手が子供だった故に。
しかし、今はそれだけを考えているわけにもいかない。問題は山積みだ。
兄達の殺害に嘉音が噛んでいる。これに間違いはないはずだ。
さらに言えば金蔵の死体が上がっているという点から、他の使用人が絡んでいると見るのも穿ち過ぎなどではない。まさか、死んだ兄夫婦と源次、失踪した嘉音の4人だけで隠蔽していたなどということはあるまい。
とすれば、勿論今ここにいる使用人達が『向こう側』なのは疑いようもないことだ。
――今すぐに追い出すか?
否。よくこの部屋を見るのだ。
その“いたって真っ当な推理”を主張したら、部屋を出ることになるのは誰だ?
勿論使用人共だ。熊沢、郷田、そして紗音。
その紗音は今どこにいると言うのか。どこに。
いたいけな羊の群れで、例に漏れず羊の“フリ”をして寄り添う卑しい女と息子を引き裂くことは、はたして容易だろうか。
「……第二の晩に、残されし者から寄り添う二人を引き裂け」
「……!」
その少女の言葉は、絵羽の心臓にひやりと冷たいものを突き付けた。
見透かされたのかと思った。それが自分の思い過ごしであったことに安堵する。
「第三の晩に、誇り高き我が名を讃えよ。第四の晩に、頭を刔りて殺せ。第五の晩に、胸を刔りて殺せ。第六の晩に、腹を刔りて殺せ。第七の晩に、膝を刔りて殺せ! 第八の晩に、脚を刔りて殺せ! 第九の晩に、魔女は蘇り、誰も生き残れはしない! ……第十の晩に、旅は終わり、黄金の郷へ至るだろう……ッ!」
大人達は真里亞の甲高い蛮声に聴き入った。
最初は、ゆっくりとして――黄金の魔女のメッセンジャーに相応しい威厳と慈愛に満ちて――いた声も、連ねるにつれやがて焦りを帯びたものへとと変わる。
真里亞は息苦しそうなそぶりすら見せて、悲願を吐き出す。
「うー! お願いベアトリーチェ、真里亞達を黄金郷に導いて! 戦人を生贄には選ばないで!」
(……、…………。……)
真っ先に気付いたのは誰だったか。
それはまるで鈴の音のよう。魔女の飼い猫がそろりそろりと忍び寄るよう。
初めは微かで、殆どが窓の外の豪雨に掻き消されて空耳としか思わなかったかもしれない。
それは徐々にこちらに近づいていた。
それに伴って、廊下側からの雨音も強さを増す。
だから、各々に「嵐が酷くなってきたのだ」と歯軋りはしても、本当にすぐ近くになるまでその音のことは誰も口にしなかった。
しかし、最後の1回――それが最後だと分かったのは暫く経ってからだが――だけは明確に、パリンと大きな音が鳴った。
――――
November.10.2010
真里亞が楼座の手を振りほどこうと身を振るう。
口を塞いでいた手を離した途端これだ。
楼座はその調った眉をしかめて姉達の方を盗み見る。幸いにもそれほど関心は向けられていなかった。
「まだ言ってるの真里亞。外に出たら危険でしょ。ママと一緒にここにいなさい」
「うー、2人きりで行ったらダメなの! ベアトは真里亞のことは生贄にしないって言ってくれたけど、戦人のことは言ってくれなかった! うー!」
(――ベアトリーチェは、か)
真里亞の言っていることは、半分正しい。
半分正しく、もう半分が間違っているから、思わず拳を握り固めてしまう。……また理性が負けそうだ。
(兄さん達は戦人君に手をかけたりはしないはず。だって本末転倒だもの。だからこそ、"2人"という数が怖い――)
「まりあお姉ちゃん? なんでお兄ちゃんは行っちゃったの?」
ソファでうとうととしていた縁寿が、目元を擦りながら尋ねる。
真里亞が騒いだので目が冴えてしまったのだ。
「ごめんね縁寿ちゃん。戦人君はちょっと用事があるんだって」
「パパとママは? パパとママも用事?」
「それは……」
どう言い繕うか迷っていると、傍らで真里亞がぴたりと動きを止める。
真里亞は大人びた――それは普段の娘と比べると気味の悪いほど――口調で。
「うー。ベアトがお茶会に招いたの。みんなこれからそこに行くんだよ。逃げられないの」
「ふぅん……えんじぇ、ベアトリーチェきらい」
縁寿が口を尖らせる。
それを見た真里亞はもの思わしげな顔をした。
「じゃあ、縁寿は選ばれないといいね、うー」
「えらぶ?」
「そうだよ。縁寿も見たでしょ? 魔女の碑文。第一の晩に、鍵の選びし六人を……」
首を傾げる縁寿。真里亞はあの悍ましい文句を並べ始めるのだった。
「……これでよかったんやろか」
「あなた?」
「わしらは朱志香ちゃん達を疑い、追い出した。そやけどもし、朱志香ちゃん達がほんまに何も知らんかったなら」
「……。私達が追い出したんじゃなくて、勝手に嘉音を捜しに行ったのよぅ」
絵羽は瞑目し、夫から顔を逸らす。
「それとこれとは話が別や! わしかて嘉音君のことは疑っとる。そやからこそ、あの子らのことは引き留めてやるべきだったんとちゃうか?」
「……っ。わ、わかってるわよぅ。でも、今になって、……今さら言っても遅いのよぅ!」
絵羽は今更になって自分だけ正論を吐く夫を睨みつけたい気分になって一瞥した。しかしやはり目を合わせられずに、脇目をふる。その瞳には少しばかりの潤みが見られた。
絵羽とて好きで見送ったわけではない。
たかだかカマをかけてみただけで、こんな結果は想定外だったのだ。
兄と弟ならば或いは清々しい気分になれたかもしれない。だが、不運にも相手が子供だった故に。
しかし、今はそれだけを考えているわけにもいかない。問題は山積みだ。
兄達の殺害に嘉音が噛んでいる。これに間違いはないはずだ。
さらに言えば金蔵の死体が上がっているという点から、他の使用人が絡んでいると見るのも穿ち過ぎなどではない。まさか、死んだ兄夫婦と源次、失踪した嘉音の4人だけで隠蔽していたなどということはあるまい。
とすれば、勿論今ここにいる使用人達が『向こう側』なのは疑いようもないことだ。
――今すぐに追い出すか?
否。よくこの部屋を見るのだ。
その“いたって真っ当な推理”を主張したら、部屋を出ることになるのは誰だ?
勿論使用人共だ。熊沢、郷田、そして紗音。
その紗音は今どこにいると言うのか。どこに。
いたいけな羊の群れで、例に漏れず羊の“フリ”をして寄り添う卑しい女と息子を引き裂くことは、はたして容易だろうか。
「……第二の晩に、残されし者から寄り添う二人を引き裂け」
「……!」
その少女の言葉は、絵羽の心臓にひやりと冷たいものを突き付けた。
見透かされたのかと思った。それが自分の思い過ごしであったことに安堵する。
「第三の晩に、誇り高き我が名を讃えよ。第四の晩に、頭を刔りて殺せ。第五の晩に、胸を刔りて殺せ。第六の晩に、腹を刔りて殺せ。第七の晩に、膝を刔りて殺せ! 第八の晩に、脚を刔りて殺せ! 第九の晩に、魔女は蘇り、誰も生き残れはしない! ……第十の晩に、旅は終わり、黄金の郷へ至るだろう……ッ!」
大人達は真里亞の甲高い蛮声に聴き入った。
最初は、ゆっくりとして――黄金の魔女のメッセンジャーに相応しい威厳と慈愛に満ちて――いた声も、連ねるにつれやがて焦りを帯びたものへとと変わる。
真里亞は息苦しそうなそぶりすら見せて、悲願を吐き出す。
「うー! お願いベアトリーチェ、真里亞達を黄金郷に導いて! 戦人を生贄には選ばないで!」
(……、…………。……)
真っ先に気付いたのは誰だったか。
それはまるで鈴の音のよう。魔女の飼い猫がそろりそろりと忍び寄るよう。
初めは微かで、殆どが窓の外の豪雨に掻き消されて空耳としか思わなかったかもしれない。
それは徐々にこちらに近づいていた。
それに伴って、廊下側からの雨音も強さを増す。
だから、各々に「嵐が酷くなってきたのだ」と歯軋りはしても、本当にすぐ近くになるまでその音のことは誰も口にしなかった。
しかし、最後の1回――それが最後だと分かったのは暫く経ってからだが――だけは明確に、パリンと大きな音が鳴った。
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November.10.2010
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