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桜の花の浮かぶ水槽で

鯖も泳いでます

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人はそれを、化け物と呼ぶ

とても……久しぶりですorz
色々と趣味詰め込んでいるので、閲覧注意です。
特殊設定。15禁程度? 近親ネタあり。むしろそれしか無い。十八は未遂起こしているけど車椅子無しでも歩ける設定。




ただ静かに、変わらない日々を送ることだけを、十八は常々望んできた。
それが幻でしかないことを知らしめられても、まだどこかで期待していたのだろう。
それを他人に押し付ける形になったことは、確かに反省しなければならない罪だったかもしれない。
 

書斎の片隅には、小さな花瓶が置かれている。そこに、幾子が挿した一輪の小さな花がある。
思い出した時にだけ世話をしてやれば、枯れ果てるまでゆっくりと時間をかけて、その控えめな彩を見せてくれていた。
 

十八は目を開いた。瞼の裏で描いていた場所にその花は無く、床には陶器の破片が散らばっていた。そう、割り砕かれている方が現実だ。
花瓶の破片と、そうでない破片。そして塵というのは憚られる欠片達。もう何時間も放ったままだった。
十八は嘆息した。……自らの後始末も出来ぬ歳ではないはずだ。


「本当に、面倒くさい」


使用人を呼んでもいい。取り立てて贅沢な暮らしが出来るわけではないが、家のことを他人に任せる程度の余裕はある。呼んでも構わない。しかし、余計に面倒なことになる。やれやれと天井を仰ぐ。


「幾子さん。そこにいますね。こそこそと様子を窺うなんてあなたらしくもない」
「これは失礼しました」


戸口から、黒い髪の女性が現れる。幾子だった。
口元にはいつも通り皮肉を浮かべていたが、こちらの機嫌を窺っている気配を、十八は感じ取った。


「先ほどのことは謝ります。ですからそう怯えないでください」


尤も、いまだ散らかったままのカーペットの上を目の当たりにすれば、そんな口先だけの謝罪に価値がないことは明白だった。
それでも、室内に入った時点で覚悟を決めていたのか、言い淀みはしなかった。


「夕食の支度が整いましたから、下に降りてきてください、お父様。私が作ったのですよ」


目に見えて、十八の眉間に皺が寄る。
幾子は柄にもなく、びくりと震えた。数刻前出来事を思えば、それも仕方のないことだった。
それを一瞥したものの、十八は釘を刺すように強い口調で言い切る。


「その呼び方は、やめてください」
「…………そう仰られても、お父様はお父様です」
「やめてください。あなたは娘なんかじゃない」
「……以前も。何度かそのようなことを仰られたけれど、結局は、どう呼んでも構わないと許してくれたはずです。昨日まではこう呼んだって、笑っていたじゃないですか」


それは紛れもない事実だった。
そして、十八がこの関係に、もはや耐えるとことが出来ないのも、また事実だった。

きっかけなどいつだってたいしたことではない。もしも十八がすべてに至ったこと自体が引き金であったならば、いかにして修正を測るか思慮を深めるのも容易だっただろうに。


伊藤幾九郎は新しい偽書を書き始めていた。
それは時期を見れば、亡き黄金の魔女への手向けであったかもしれないし、行方の知れぬ妹へのメッセージであったかもしれない。正確には覚えていない。
いつからか己を父と仰ぐ相方の言葉の一つ一つが、ひどく耳に付くようになっていた。無理にでも笑っていられた頃は良かった。今となってはそれさえも、苦痛でしかなくなっていた。


そしてそんな状況で、プロットを練ることに根を詰める十八に、彼女がクッキーを差し入れてきた。人に作らせることに慣れきった彼女の、つたないながらも心のこもった茶菓子。その菓子に、にささやかな励ましの言葉を添えられた。ただそれだけだった。
それがいかに十八の琴線に触れ、どのような形でこの家の平穏を打ち砕いてしまったのかは、彼女の手作りの菓子が、十八の口にひとかけらも入ることなくそこに落ちていることが、顕著に表していた。


「……。だいたい、いつもは家事など使用人に任せきりのはずです。何故今日に限ってそんなことを?」
「お父様に、機嫌を損ねられたようで、私……」
「…………だから、その呼び方さえ改めれば、私の機嫌なんて簡単に直ります」
「……分かった。口調だけは、改める」
「口調なんてどうでもいいです。だいたい改めるも何も、あなたの口調はいつだって安定していないでしょう。それとも何か法則でもあるのですか」


幾子は答えなかった。


「……いいです。とにかく、今後一切、私をお父様とは呼ばないように。それだけは約束してください。食事に向かいましょう」


彼女の肩と戸口の間を摺り抜けるように、十八は部屋を出ようとするが、幾子がそれを引き留める。


「お父様が何と言おうと、そなたの血の繋がった娘であることを、大切な絆だと思っている。だから、それを否定されたくない……! 変わってしまったのはそなたの方だ! 妾はそれを、受け入れた。でも妾は、お母様ではない。せめてそれを、理解してください……!」


尚も食い下がる幾子に十八は、彼女の腕を掴むと、乱暴に床に押し倒した。
強い衝撃を背中に与えられ、幾子は苦悶の表情を浮かべる。見れば、陶器の欠片が彼女の白い肌を傷つけていた。
普段の十八ならば、迷うことなく労わりの言葉をかけ、自ら手当てを施しただろう。
今の十八に、それほどの余裕はなかった。そもそも正気であったなら、このような行動を取ったりはしない。


十八は幾子を介抱するどころか、両腕で動きを封じ、慣れた所作で彼女の唇を、自らのそれでふさぐ。意表を突かれたからか頑なに閉ざそうとする唇を無理矢理割り開かせ、何度も角度を変えて、しつこく舌を絡ませる。
嫌がる素振りを見せていたのは初めの内だけで、次第に幾子も自ら絡めて求めてくる。
十八はそれを感じ、ゆっくりとほどく。離された二人の口元には粘ついた透明の糸が渡されていたが、幾子はそれでは足りないとでも言うように十八のシャツを引いた。
十八は曖昧に笑い、先ほどより優しく口付けた。


「幾子さん。あなたは父親とこんなことをするのですか?」


幾子の動きがぴたりと止む。眉をひそめ、首を傾げた。


「何か、おかしいか……?」


彼女の口から発せられたのは思いもよらない言葉だった。
何かおかしいか、――だって?
十八はそこで、ようやく彼女の価値観が恐ろしいまでに狂っていることに、気付く。


「お父様は、妾を魔女と呼んで、こうやって愛してくださったではないか。初めは妾も戸惑った。その愛が真に妾に向けられていることを信じられずに」
「何の話ですか……! いい加減にしてください。いつもの冗談だと思えばこそ付き合ってきたのに。私はあなたの父親なんかじゃない! 私にはあなたが何を言っているのかさっぱりわからない! 30を過ぎたばかりの私に、どうやってあなたほどの歳の娘を持てと!?」


そうだ。どうして自分は彼女の異変の始まりを、笑って受け流していたのか。
いつもの悪趣味な冗談だろうと高をくくっていられたのか。
――向けられる感情が、それまでと変わらなかったからだ。
十数年住処を共にする男女として、相応の関係はあった。
それがなおも続いていたからこそ、十八は長く、この気味の悪い戯れを、戯れだと信じてこられたのだ。


「確かに、肉の器は若い男のものかもしれぬ。しかし、魂はお父様のものと同一。今までは記憶が不十分であったが、いつかそなたが目覚めることを」
「……あなたは今まで、私の中に、一体誰を見てきたのですか? あなたにとっての私は、ただの器でしかなかったと?」


……右代宮金蔵。
幾子の答えを待つまでもなく、十八の脳裏に一人の男の名が導き出される。
ボトルメールの一方の物語で、右代宮戦人と似通っていると、旧臣である源次をして言わしめた男。
そして、自分の考えが正しければ、一人の女を愛するあまり、許されざる罪を犯した、狂気の老翁。


十八は右代宮戦人の記憶を取り戻し、一時は戦人として振る舞おうとした。そしてすべてを理解したのち、幾子には「ベアトリーチェへの餞」としか語らず魔女へ捧げる物語を描いた。その対象があの使用人――彼女の娘であることは、幾子も理解はしていただろう。
しかし、十八の行動が、右代宮金蔵のとるべき行動と重なってしまった。何気ない所作も、もしかしたら右代宮戦人に引きずりこまれていたかもしれない。あらゆる点で祖父の生き写しであった、右代宮戦人に。
その結果、彼女は「お父様が蘇った」と誤認した。そう考えるのが妥当……なのだろう。


それは、十八の信じてきた十数年の日々を、根底から揺るがす仮定だった。
もはや仮定とも呼べない。僅かばかりの背徳は抱えていたのか、幾子は睫毛を伏せる。
その無意識の行為を是と受け止め、十八はいっそう眩暈を感じた。


「……。わからなかったのだ。そなたは父であったのだろうか。男であったのだろうか。生まれた時から広い屋敷と庭園だけが自分の世界だった。そしてそなたは、妾の中の魔女が蘇ることを、心待ちにしていた」


偶然起こった2つの事故。もはや必然にして必定ともいうべき、2つの奇跡。
それを幸運と使用人たちは当主とその娘達を引き離す。
その2人の隠し子のうち、右代宮戦人と面識のなかった方の娘が、いま目の前にいる。


腕が、杭を穿たれたように床に張り付いたまま動かなかった。しかし曇りなき眼をこれ以上視界に入れることも、その視線を向けられることもいたたまれなく、どのようにして力を入れたかさえ分からないまま、十八は幾子から離れる。
幾子はこの場にいるべきでないと察したのか、さきほど彼女が引き留めようとした男の代わりに、その部屋を立ち去った。


こうなってしまったからには、すぐにでも後を追って、話し合うべきだったのだろう。しかし十八は幾子の部屋を訪れる決心をするのに、数時間もの時間をかけた。十数年という時間を共に暮らし、互いの部屋を出入りすることに抵抗は無くなっていたはずだった。だからこの心の重さは、もちろん別の理由からだ。


幾子の部屋は、十八の自室からそれほど離れていない。だから、彼女が閉じこもってから一度も扉が開いていないことは知っている。どんなに静かに開こうとも、気を張りつめていた十八の耳に届かないことは無いだろう。
しかし、部屋には人の気配を感じなかった。確かめるようにノックをするが、やはり反応は無い。やむを得まいと、古びた木製の内開きの戸を押す。鍵はかかっていなかった。
幾子は、窓辺で古ぼけた椅子に腰かけ、外を眺めていた。
何を眺めているのか、とでも問えば良かったのだろうか。しかし十八はとっさに言うべき言葉を探し出せなかった。だから、名前を呼んだ。


「幾子さん」


窓ガラスに額をもたれかけた幾子の肩越しに、十八は語りかけた。
彼女の姿はそのガラスに映り込んでいたが、表情は見えなかった。


「……ベアトリーチェ」
「懐かしい名です」
「……魔女ベアトリーチェであり、その娘であり、母。十数年かけて、ようやくあなたが誰か、理解出来ました」
「私は私が誰なのか、理解できたことは一度もありませんが、ね」
「……私もです。私が誰なのか、私という個人が本当に存在しているのか、日を追うごとにわからなくなる」


自分が「八城十八」に固執していた理由は、もう何処にもない。
だって、その名をつけてくれた彼女にとって、自分は「八城十八」などではなかったのだから。
十八は嗤った。「右代宮戦人」はとっくに死んだ人間で、自分が畏怖していたのは自身が生み出した幻に過ぎなかったのだと、こうなってようやく理解出来た。
だから、かつての自分に身体を返してあげよう、なんて、そんな三流SFのような、自己犠牲という名の欺瞞さえ叶わない。
それなら自分はもう、何者にもなれないじゃないか……。


「私が右代宮金蔵だというのなら、私はあなたに謝罪をしなくてはいけないはずだ。だからこちらを向いてください」


幾子は外を見つめたまま、無言で俯く。一瞬頷いて肯定されたのかと肝を冷やしたが、彼女が振り返ることは無かった。


「……と言っても、あなたは振り返ってはくれないのでしょうね。私はそれを、ほんの少しでもあなたが私自身を見ていてくれた証だと信じたい」


自分を騙すように精一杯に虚勢を張りながら、十八は室内に足を進めると、幾子の肩に触れる。
近づいてくる気配に気づいていなかったのか、思わず振り返った幾子の目に困惑の色が窺えた。敏い彼女にしては、珍しい。十八は息を飲み、とっさに我を忘れて抱き寄せようとするが、急に頭が冷え、逆に指を離す。


――彼女は血のつながった叔母だ。
そうでなくとも、かつての自分を愛し、それ故に不幸になった少女の実の母である。


宙に浮かせた手が行き場を失っていた。良心の呵責が、再び幾子に触れることを躊躇わせた。
その躊躇いは、十八自身を余計に苛んだ。
この葛藤は、かつての自分が“あの少女”に与えたもの、そのものだったからだ。


時を戻して知らなくて済む道を選べるのなら、そうしたかった。
幾子の世迷いごとに付き合っていたら、或いは?
知りたくなどなかった。そうあの少女も考え、訪れぬ男を恨んだのだろうか……。


 


山奥に位置する八城邸から大して遠くない場所に、懐かしい海を一望できる場所がある。崖下は絶え間なく波打ち、時間の感覚を消し去った。
もう二度とこんなことはしないと誓ったはずだった。
情けない。縁寿が自ら命を絶つことを必死で阻もうとしていたはずの男は、こんなものなのだ。
いや、自分が真実に耐えられないような人間だから、「妹」も同じだと、勝手に思い込んでいたのかもしれない。


以前自分がこの選択をしたとき、幾子は何を考えたのだろうか。
せっかく蘇生の兆候を見せ始めた器が壊されることを恐れて、嘆いた?
十八は耳を塞いだ。外は静寂だった。内側も脈音以外何も聞こえなかった。存在しないはずの空間から絶え間なく魔女の笑声が聞こえるのに、瞼の裏に映った魔女は泣いていた。
もしこのまますべてを投げ捨てたら、みんなは、(お前は、)歓迎してくれるだろうか。
「右代宮戦人」として。



――いや、だ。


「十八」は後ずさった。形の疎らな砂利の転がる音がした。


きえたくない。
もう、執着する理由なんてないけれど。自分が十八であることを、黄金の真実ですら紡げなくなってしまったけれど。消失に対する恐怖は、以前と変わらず湧き上がってくる。その未練が先天的な生存本能なのか、別の何かなのかは、わからなかった。
ああ、自分に「先天」なんて、なかったっけ……。
それなら、この感情は一体……。
 


 

十八が屋敷に戻ると、いつもの通り使用人に出迎えられた。昨夜幾子が作った食事はとっくに片づけられていた。恐らく十八が外出する前にテーブルから姿を消していたのだろうが、確認する余裕があったはずもない。
暫く何もないテーブルを眺めていると、使用人が何事かと訝しがり、腹が減っていると誤解したのか軽食を用意しようかと声をかけてくる。十八は苦笑しながら首を振り、踵をかえす。書斎に向かおうとすると、ちょうど、幾子が階上にから降りてくるところに居合わせた。


「おかえりなさい、……とお、や」


十八が出払っていたことには気づいていたらしい。
他に機嫌を取る方法が無いと悟ったのか、久しぶりに幾子の口からその名前を聞いた。
何もなかったら、安堵を覚えただろう、――実際幾度となく救われた――その名が、痛い。そのたどたどしさは、それを余計に煽った。
いたたまれない。頑なに父と呼ばれていたほうが、幾分ましだった。
或いは、あのとき詰問せず、何も知らないままでいたら。


「……ただいま、幾子さん」


何も、なかったことにしたら。
何も知らなかったことにして、彼女の望む通り「右代宮戦人の記憶を持ち、八城十八として生きる、右代宮金蔵の新しい器」を演じたら。
そうしたら、幾子は今まで通りに傍にいてくれるのだろう。
永く自分を支えてくれた彼女は、そうすることを望んでいるのだ。
そうだ、それに、縁寿を探し出すことも諦めてはいけない。
自分の保身のために苦しめてしまった可哀想な子を、お兄さんに会わせてあげなくてはいけない。


――自分には、やらなくてはいけないことがちゃんとあるじゃないか。
自分にしか出来ない事がある。だから、やり遂げなくては。逃げてしまったら、やっぱり自分は、存在しなくていいニンゲンということになってしまう。


「お父様で構いません。先ほどは、ごめんなさい」


そう言うと、幾子は表情を綻ばせる。彼女の中では、気まぐれなオトウサマが受け入れてくれた、ということになったのだろう。
胸の底に重いものを感じる。その反面、少しだけほっとした。
十数年の年月は浅くない。そしてお互いの難儀な境遇のせいか、その十数年は他人以上に濃密であった。
きっと、自分はどうしようもなくこの人が好きなのだろうと、諦めのような感情を覚えた。
真実を知ってしまった以上、彼女を女性として愛することは許されない。けれど、右代宮金蔵という名を借りて、父娘としての愛情を育むことは、許されるのではないか。


父親を名乗るには幼すぎる自分の精神に苦笑した。ただでさえ幾子の方が年上だというのに、自分のそれは肉体の実年齢より遥かに幼い。「父親として愛する」だなんて、なんと滑稽なのだろう。しかし思えば、彼女の方も自分と同質の幼さを垣間見せいていたかもしれない。理由は押して図るべしといったところだろう。


十八は考える。自我を抑え込むだけで、彼女にとって一番大切な人という役目を得られるなら、幸福なことなのではないか、と。
死んですら認められないなら、生きたまま認められないことの何が苦痛なのだ。
彼女の傍にいられるだけで充分だ。それ以上は、許されない。


それでは、罪を赦す存在は一体どこにいるというのだろうか。この世界に神なんて“い”ない。たとえいたとしても、すべてを他人事として観劇しているだけの存在だ。
罪の忌避も贖罪も自己満足でしかない。それは、想いを伝える触媒として偽書を選ぶまでの過程で、いやというほど思い知った。
だから、いつか、自身が与え、与えられたと思い込んだ役割を、全て演じ終えたら。
いつか……。
八城十八として死ぬことを、許してほしい。
名乗るべき名を見失った男は、十数年前彼女に拾われた日と何の変りもない八城邸の庭を見つめた。今日は晴天だというのに、何の変りも無かった。
 


 

父娘の交流といっても、何をすべきなのだろう。十八は頭を捻る。
自分のことは脇に置くとしても、彼女はとっくに子供という歳ではない。
それに、彼女もかつての自分も、父親との関係では崩壊を経験している。彼女にとってのコレをそのやり直しと捉えるにしても、上手くやれる自信はない。
右代宮戦人の記憶を辿る。
霧江との再婚を突きつけられるまで、彼と留弗夫は普通の親子だった。少なくとも外面上は。彼女の方も同じだろう。父にもう一つ家庭があろうが、実の母親と暮らしていなかろうが、当時の子供にとっては普通の父親だったはずだ。
十八には、それを単純に真似ればいいと思えない。もし戦人と留弗夫が正しく和解できていればその限りでもなかったが、その機会は来なかった。互いが腹に抱えたものを口にできないまま永遠に奪われたのだ。


……考え込んでも仕方がないか。どうせ、この屋敷ではできることも限られている。
いつものように紅茶かコーヒーでも飲んで、本を片手に、他愛のない事でも語らえばいい。彼女もそういうことを望んでいるだろう。まさかわざわざ手を引いて遊園地に連れて行って欲しいと思っているわけもない。やりたいことは、導かれなくても勝手にする女性だ。
そんな彼女が日がな外にも出ず十八と接しているだけで満足していることが、実は少し嬉しかったのだから。


 

十八は、明くる日も明くる日も、前の日と同じ平穏を守ろうとした。
茶会。歓談。彼女が気まぐれに用意したボードゲーム。そして推理小説の共同執筆。
庭の片隅で幾子が育てている薔薇の世話の手伝い。失礼ながら彼女のイメージと一致しなかったその花も、かつて愛でていた九羽鳥庵の薔薇を思い起こしていたと考えれば納得がいく。


あとは、たまには敷地の外を散歩したり。
なんだかまるで、親子じゃなくて老夫婦のようだ。……十八は首を振る。そうじゃない、と。
とっさに十八は「幾子さん」ではなく「幾子」と呼ぶ。そうすれば、彼女は躊躇うことなく父と呼べるからだ。


「どうしましたか、お父様」
「……少し冷えてきたな、と思いまして」
「もう秋も深まってきましたからね。戻りましょうか」
「いえ、もう少しここにいます」


自分で呼ばせておいて。十八は自嘲した。
つらい、と口に出してしまったら、すぐにでも壊れてしまう。
十八はその言葉を口にしない代わりに、他の言葉も話すことが少なくなっていった。たとえ会話が減っても優しく振舞う分本妻の子供達にとっての金蔵よりは遥かにマシだ。では、このひとに対しての金蔵と比べたら……?


おかしなものだ。似せようとしなくたって血縁上の祖父に似てしまうからこんなことになったのだ。だというのに、十八はことあるごとに彼女と金蔵の穏やかな日々を思い耽った。
どうしたら安穏を守れるかに考えを巡らせ、いつも行き止まりにあった。そこには薄い氷の壁があって、先には望まない道が繋がっていた。
そこからの逃避願望が頭痛となって現れたので、やはり寒くなったと言って場をあとにする。
自室に帰り、机の上に山積みにされた紙の束を見て、十八はようやく安堵を覚えた。ゆっくりと息を吐く。本業の文筆家であることとその体格に対しては多少小さく映る机と椅子が、驚く程しっくりと迎え入れた。


 


幾週、幾月――あるいは幾年、どれほど経ったかは数えていない。考えていたより持った方だろうと思う。何をもって八城十八という人間であることに固執し続けているのかすら、わからないくせに。
ママゴトは慣れるどころか違和感を増すばかりだった。縁寿の消息を掴むこともできていない。
鈍痛を感じ、こめかみを抑える。付き合い慣れた頭痛だ。症状は変わっていないはずだが、その痛みが随分と心身に打撃を与えている。
摩耗しているのだとしたら、僥倖だ。椅子の背もたれにかかっていたブランケットを膝の上に置く。
ひとたび机に向かうと十八は一心不乱に筆を走らせる。罫線が引かれただけだった紙が、瞬く間に文字で埋め尽くされてゆく。そこには、傍から見ても鬼気迫るものがあった。


「一体何が、あなたをそんなに駆り立てるのですか」


幾子の問いに言葉を返すことはせず、代わりに可能な限り優しく笑う。しかし努力虚しくその行為は失敗していた。


良質なミステリを、トリックを描きだし、読者がそれに挑む。その時間だけ、「八城十八」が存在した。空洞だらけの、虚しいものではあったけれど、十八はその中に没入した。
自身の力で考え得る全てのトリックを紙の上に打ち込み、考えが尽きたときに自分も消える。それが唯一、八城十八を八城十八として殺せる方法だと思った。


馬鹿馬鹿しい。自身の心が嘲る。本当はとっくに、欺瞞でしかないことに気付いている。
思考の死をニンゲンの死とするなら、この肉体は一体、何なのだろう。これは一体誰のモノなのだろう。この器を早く壊したくて仕方がない。思い通りに動かない器は疎ましく、そして独占欲を煽る。こんな感覚を味わう時点で、自分はまともな存在ではないのだ。


「もう、やめてくださいお父様……!」


幾子が手首を掴む。


トリックを編み出すだけの、絡繰り人形。器。機械。家具。
それならどうしてこんなにも、流れるようなやわらかい髪に触れたいと思うのだろう。引き寄せられるように勝手に身体が動く。
十八はふと思った。右代宮金蔵は、どのように彼女に触れたのだろう、と。彼女の母、カスティリオーニと過ごした頃のように? そんな時代のこと、尚更知っているはずがない。
……知っているはずが、ない。


「お父様?」
「……ベアトリーチェ」


この身体のどこから出たのだろうと不思議に思うほど低く乾いた声色だった。
十八は背に腕を回すと、幾子はそれを拒もうとする。
直感した。彼女は、十八が右代宮金蔵とは異なる人間だとどこかで理解しているのだ。


「ベアトリーチェ」
「……ごめんなさい」


ベアトリーチェと呼ばれた女は、決して涙は見せない。ただ謝罪の言葉だけを幾度となく繰り返す。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


十八は目の前の女をかわいそうに思った。
最後の最後で狂いきれなかった。
清らかな生き方など教えられてこなかったのに、それに疑問を抱いてしまったことは、悲劇だ。
……そして十八は自らの意志で、自らの為に、幾子のその最後の一線を断ち切る。
だからこそ彼女を憐れんだ。


「あなたの娘に、謝りたい」
「……しかし、理御は死んだのではないか?」
「そうです。右代宮戦人は間に合わなかった。謝罪さえも叶わない。でも……私が右代宮金蔵だと言うのなら、彼女はあなたと私の子です。だから、どうかあの子にもう一度、合わせてください」
「……なるほど。結局、あなたも。私を見てはくれないのだな」
「お互い様じゃないですか」
「ええ……全く……」


自嘲を交えた同意を返すと、幾子はゆったりと十八に身体を預けた。
彼女に名を呼ばれた気がしたが、それが誰の名であったかはノイズがかったように上手く聞き取れなかった。


十八は自問する。
これは果たして自分の願望であったのだろうか。


右代宮戦人は死んだのだ。
奇跡の末に、千兆分の一の奇跡の末に彼女が再び生まれたとして、彼女に向き合うべき人間は十八ではなく、すでに死んだ人間なのだ。
だから、これは幾子を、あの少女の母を再び腕に抱くための口実。……そう。そのつもりだったはずだ。
ああ、けれど自分は、千兆分の一の確率で開かれる黄金郷を、期待している。世迷いごとなどと切り捨てられてない。


わからない。わからない。


――頭の端に、自らを家具と呼び、愛を信じて敗れたあの少女の姿が浮かぶ。
彼女は恐らく、子の産めぬ身体だった。それが一層、彼女の心を追い詰めたに違いないのだ。
ならば今、十八が望んでいるのは彼女の子なのではないだろうか。
拭い得ぬ罪のせめてもの手向けとして、十八があの少女に与えてやれる真に望まれる奇跡。
思えば父も祖父も、子を得られぬ女に自らの子を差し与えたのだ。
すべては巡っている。たとえ彼らの罪が紡ぎだした結末がどのようなものであったか脳裏に痛いほど刻みつけられていたとしても、甘美な誘惑に抗える術などありはしないのだ。
黄金郷へ招かれる為に生を受ける哀れな命へかける情が芽生えるより早く、十八は熱に溺れていった。


思い出したように、十八はくすりと笑う。その理由を問うものは誰もいない。
……すべてが、すべての言い訳でしかなかった。
きっと自分は、ひたすらに許されたいと願っている。
それなのに考えれば考えるほど、思考は罪深いものへとおちてゆく。
すべてがすべての言い訳だった。そして恐らく、彼女もまた同じなのだろうと思った。


外が暗いせいか、雨が叩く窓に二人が映り込んでいた。
最初から、そこには右代宮金蔵と、ベアトリーチェ・カスティリオーニの二人しかいなかった。
あの島から二人きりで逃れ、周囲の傀儡となる人生を捨て、隠れるようにこの屋敷に暮らしていた。


それでいい。
何十年も姿を変えず、他人に理解されず、ただひっそりと棲まうものがあったというだけの、つまらない話だったのだ。



End


August.27.2012

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